2006年02月15日

円覚寺跡 2006/2/2

ちゃんと写真は表示されてますね。よかったよかった。
タイトルですが、「第~日目」ではなく日付を記すことにしました。たぶんこのほうがいいいでしょう。

それでは前回の続き。
この日はまだバイクがなかったので、首里城を見にいくためにモノレールに乗りました。

首里駅から首里城までは結構離れてるんですね。さすがに首里城に横付けされるとまでは思っていませんでしたが、意外に遠く感じました。
もっとも、あまり近いと首里城周辺の景観がぶち壊しになるので、これはこれでいいのでしょう。

余談ながら、ちょっと気になったのは、モノレールの車窓から見えるのがほとんどマンションや民家で、オフィスビルらしきものがあまり見当たらなかったことです。仕事が少ないという沖縄の事情が、その景色からも実感できたように思いました。

さて、首里駅で降りて首里城へと向かったわけですが、途中、県立芸術大学にこんな石碑がありました。



沖縄師範学校附属小学校跡の碑

背面(というか側面)に記された碑の由来を要約すると以下のとおり。

1881年に那覇西村に創立された沖縄師範学校附属小学校は1886年にこの碑の地に移転、多くの人材を輩出したが1945年の沖縄戦で灰燼に帰す。1996年、母校をしのび同窓会の手でここに記念碑を建てる。

そういえば、戦前の師範学校は現在の芸大敷地内にあったと何かで読んだ記憶がありました。附属小学校もすぐ隣にあったんですね。

で、そのまま首里城へ向かっていくと、左手に円覚寺跡が見えてきました。



円覚寺跡

説明文を読むと、琉球における臨済宗の総本山で、第二尚氏王統の菩提寺。尚真王が父王尚円を祀るために1492年から3年がかりで建立したと伝わっている、と。コロンブスのアメリカ大陸到達の年につくり始めたんですね。
戦災でほとんど破壊され、総門(上の写真)は昭和43年に復元。門を入った所の放生橋は昭和42年に修復。



案内板の図より。
線で囲んだ部分が修復・復元されているんですね。



円覚寺総門

円覚寺という名前がどうも気になると思っていたら、鎌倉に同じ名前の有名な寺があったからでした。JR横須賀線北鎌倉駅から歩いてすぐの場所にあります。元寇の戦死者を敵味方問わず弔うために北条時宗が建てた寺で、時宗の墓もあります。→円覚寺公式HP

名前以外にも琉球と鎌倉の円覚寺にはつながりがあるようで、説明文によると琉球の円覚寺は「建築の手法は、鎌倉の円覚寺にならった禅宗七堂伽藍の形式を備え」ていたのだそうです。




横の門(掖門というそうですが)から入るとなかなかの景観が広がっていました。首里城正殿を横から見ると、ずいぶん印象が違いますね。
下に見える池は放生池、そこにかかっている石橋は放生橋です。



放生橋

この橋の欄干の彫刻は「沖縄石彫美術の最高傑作」(説明文より)なのだそうです。でも遠くてよく見えない・・・・・・。




こういう赤い石垣を他の場所でも見たと思うんですが、なぜ赤くなってるんでしょう。
これもやはり戦火にあぶられたんでしょうか。



沖縄師範学校跡の碑

円覚寺から道路をはさんだ向い側の芸大敷地内の隅のほうにありました。平和祈念公園の「沖縄師範健児の塔」でも知られる学校ですね。

次回は円鑑池と弁財天堂です。
この調子でいつ終わるのかという不安を残しつつ(^^:)




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