2005年10月08日
蔡温『自叙伝』現代語訳 ~4~
【本文】
「今のお言葉は甚だ不審に思います。私は聖経百家の書を読み、ことに昨日はあなたの御前にて、この寺の景色を讃える文も作ってお目にかけました。どのようなわけで、私が学問の話も聞かず、書物にも無頓着であるとおっしゃるのですか」
かの人は打ち笑った。
「あなたが何ほどの文作をなさろうとも、また何ほどの書物を読まれようとも、それは細工人の業も同然のことで、学問とは大違いです。幸いにも今は少壮の歳であられるので、これから随分と学問に精を入れ、勤めたならば、御身のためは言うに及ばず、主君国土の御ためになること間違いありません。四書六経ほか賢伝の書は、すべて誠意治国のことを説いています。にもかかわらず、誠意治国の大用事を忘れ、慰みがてらに書物を見、文作などの勤めに精を入れる。それは所詮、身を忘れ、国を忘れた行いであり、むしろ細工人よりも遥かに劣っていると言えるでしょう。このことをよくよく思慮なさい」
かの人はこのように、丁寧に私に言い聞かせなさった。私はかの人についての長老の見立てがもっともであったと思い、かしこまって黙然としていた。
かの人はさらにおっしゃった。
「あなたは諸書を読み通したとおっしゃったが、それは文字の糟粕(そうはく=かす)を舐めたまでで、その内にある正味を味わっていません」
かの人は長老のそばに召し使われていた童子が読書用に『論語』一巻を持っているのを目にされ、それを手に取り、私に向かっておっしゃった。
「あなたは論語を詳細に読まれましたか」
私は答えた。
「論語は言うに及ばず、四書六経すべて詳細に読み通しています」
かの人は論語を開き、一章を指した。
「あなたはこの章の文字の正味をご存知でしょうか。『敬事』の二字の正味を解いていただきましょう」
私は答えた。
「『敬事』とは政道についての教えで、政道を大雑把にせず入念に行うことを『敬』と言います」
かの人はまたおっしゃった。
「入念に行う手段とは如何なるものでしょうか」
私がその言葉の書かれたくだりを答えると、かの人は打ち笑い、またおっしゃった。
「『人を愛す』というのは如何なる言葉でしょうか」
私は答えた。
「正しい道を行う方はいずれも国土の人民を慈愛します。それが『人を愛す』ということです」
かの人はまたおっしゃった。
「慈愛する手段とは、どのように勤めることでしょうか」
この時、私はどうにか答えようとしても、答えることができない有様であった。それゆえ私は謹んで申し上げた。
「私は学問の正味をいまだ知ってはおりませんでした。その正味をひとつひとつご教訓いただきたい」
【解説】
またまたちょっといい所で「つづく」にしちゃったかも(≧▽≦;)
蔡温と隠者の問答の場面です。
蔡温の略伝にも書きましたが、隠者は書物に書かれていることをいかにして実践するかを重視し、蔡温に問いただしています。それがわかっていなければ、いくら書物を読んでも糟粕を舐めただけにすぎない、というのです。
隠者が例に出した「敬事」「人を愛す(人愛)」という言葉ですが、『論語』のかなり最初の方に載っています。ちなみに『論語』とは、孔子と弟子たちなどの問答を集めた書物です。念のため^^
貝塚茂樹責任編集『世界の名著3 孔子 孟子』(中央公論社、1973年)から引用します。第一巻第一「学而篇」の五番目です。
子曰、導千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時。
〔書き下し〕子曰く、千乗の國を導くには、事を敬(つつし)んで信あり、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てせよ
〔意味〕先生がいわれた。「戦車千台を戦闘に出す中ぐらいの国家で、これを治める心がけというと、まず、政令を発布するにはよほど慎重で、発布した以上、かならず実行すること。次に、政府の費用はできるだけ節約し、人民の身になって考えてやること。最後に、農民を夫役にかり出すには、農繁期をさけて適当の時をえらぶことだ」
「子(先生)」というのはもちろん孔子のことです。
ちなみに「人を愛す」という言葉は巻十二「顔淵篇」にも出てきて、そこでは「仁とは何か」という質問に対して、孔子が「人を愛することだ」と答えています。孔子の言う「愛」とは博愛というような意味でしょう。
隠者の質問に答えられなくなった蔡温は、「必至と差迫」った状態になったと原文には書かれています。将棋用語で、「必至」(又は“必死”)というのはあと一手で「詰み」になる状態のことを言うそうです。ここでの「必至」はおそらくその意味だと思います。訳す時はちょっと意訳しましたが。
今回はあまり書くことがないので、この辺で(^^)
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「今のお言葉は甚だ不審に思います。私は聖経百家の書を読み、ことに昨日はあなたの御前にて、この寺の景色を讃える文も作ってお目にかけました。どのようなわけで、私が学問の話も聞かず、書物にも無頓着であるとおっしゃるのですか」
かの人は打ち笑った。
「あなたが何ほどの文作をなさろうとも、また何ほどの書物を読まれようとも、それは細工人の業も同然のことで、学問とは大違いです。幸いにも今は少壮の歳であられるので、これから随分と学問に精を入れ、勤めたならば、御身のためは言うに及ばず、主君国土の御ためになること間違いありません。四書六経ほか賢伝の書は、すべて誠意治国のことを説いています。にもかかわらず、誠意治国の大用事を忘れ、慰みがてらに書物を見、文作などの勤めに精を入れる。それは所詮、身を忘れ、国を忘れた行いであり、むしろ細工人よりも遥かに劣っていると言えるでしょう。このことをよくよく思慮なさい」
かの人はこのように、丁寧に私に言い聞かせなさった。私はかの人についての長老の見立てがもっともであったと思い、かしこまって黙然としていた。
かの人はさらにおっしゃった。
「あなたは諸書を読み通したとおっしゃったが、それは文字の糟粕(そうはく=かす)を舐めたまでで、その内にある正味を味わっていません」
かの人は長老のそばに召し使われていた童子が読書用に『論語』一巻を持っているのを目にされ、それを手に取り、私に向かっておっしゃった。
「あなたは論語を詳細に読まれましたか」
私は答えた。
「論語は言うに及ばず、四書六経すべて詳細に読み通しています」
かの人は論語を開き、一章を指した。
「あなたはこの章の文字の正味をご存知でしょうか。『敬事』の二字の正味を解いていただきましょう」
私は答えた。
「『敬事』とは政道についての教えで、政道を大雑把にせず入念に行うことを『敬』と言います」
かの人はまたおっしゃった。
「入念に行う手段とは如何なるものでしょうか」
私がその言葉の書かれたくだりを答えると、かの人は打ち笑い、またおっしゃった。
「『人を愛す』というのは如何なる言葉でしょうか」
私は答えた。
「正しい道を行う方はいずれも国土の人民を慈愛します。それが『人を愛す』ということです」
かの人はまたおっしゃった。
「慈愛する手段とは、どのように勤めることでしょうか」
この時、私はどうにか答えようとしても、答えることができない有様であった。それゆえ私は謹んで申し上げた。
「私は学問の正味をいまだ知ってはおりませんでした。その正味をひとつひとつご教訓いただきたい」
【解説】
またまたちょっといい所で「つづく」にしちゃったかも(≧▽≦;)
蔡温と隠者の問答の場面です。
蔡温の略伝にも書きましたが、隠者は書物に書かれていることをいかにして実践するかを重視し、蔡温に問いただしています。それがわかっていなければ、いくら書物を読んでも糟粕を舐めただけにすぎない、というのです。
隠者が例に出した「敬事」「人を愛す(人愛)」という言葉ですが、『論語』のかなり最初の方に載っています。ちなみに『論語』とは、孔子と弟子たちなどの問答を集めた書物です。念のため^^
貝塚茂樹責任編集『世界の名著3 孔子 孟子』(中央公論社、1973年)から引用します。第一巻第一「学而篇」の五番目です。
子曰、導千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時。
〔書き下し〕子曰く、千乗の國を導くには、事を敬(つつし)んで信あり、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てせよ
〔意味〕先生がいわれた。「戦車千台を戦闘に出す中ぐらいの国家で、これを治める心がけというと、まず、政令を発布するにはよほど慎重で、発布した以上、かならず実行すること。次に、政府の費用はできるだけ節約し、人民の身になって考えてやること。最後に、農民を夫役にかり出すには、農繁期をさけて適当の時をえらぶことだ」
「子(先生)」というのはもちろん孔子のことです。
ちなみに「人を愛す」という言葉は巻十二「顔淵篇」にも出てきて、そこでは「仁とは何か」という質問に対して、孔子が「人を愛することだ」と答えています。孔子の言う「愛」とは博愛というような意味でしょう。
隠者の質問に答えられなくなった蔡温は、「必至と差迫」った状態になったと原文には書かれています。将棋用語で、「必至」(又は“必死”)というのはあと一手で「詰み」になる状態のことを言うそうです。ここでの「必至」はおそらくその意味だと思います。訳す時はちょっと意訳しましたが。
今回はあまり書くことがないので、この辺で(^^)
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