2008年06月22日
『独物語』現代語訳・19
一、
農民は農業の勤めが第一である。
しかし以前から、農民にさまざまな雑物(ぞうもの)*を納めさせたうえ、夫遣い(労役)らしきことをさせることがあり、農民は農業をする暇がなく、田畑の仕事が思うようにいかなくなっている。
そのため、雑物ならびに夫遣いの調査を厳しく申し渡したかったのだが、御料理座をはじめ諸座諸蔵の御用物(官有品)の調査が済んでいないため、雑物・夫遣いの調査は先延ばしになっている。
* 雑物 : 穀物以外の、野菜・卵・薪木などの食料・雑貨のこと(『沖縄大百科事典』)
【メモ】
このあたりから、未解決の懸案事項が挙げられていきます。『独物語』を通して、蔡温が後輩たちにバトンを託そうとしたことがわかります。
もっとも、それらをいちいち文書で伝えようとすること自体、じつは後輩たちの能力をあまり信用していないからとも受け取れるわけですが……。
ここでは一応、後輩たちを心配するあまり、ということにしておきましょう。
さて、この項目では、農村における役人の不正を問題視しています。
地頭あるいは地方役人が、農民から租税を過剰に徴収しているため、農村が疲弊しているということです。これを徹底的に調査したかったのに、と蔡温は悔やんでいます。
「雑物」も「夫遣い」も租税の一種です。雑物は上記の注釈のとおり、夫遣いは労働を提供する「夫役(ぶやく)」の一種ということになるようです。
当時の税制では、夫役をさせない場合、その分を物納で代替することになっていました。
金銭で代替する場合は「夫役銭」といいますが、農村では貨幣が流通していなかったため、実際には「雑物」を納めさせることが多かったようです。
それを踏まえて、上記の蔡温の文章をもう一度見てみましょう。次のような解釈ができるはずです。
「雑物を徴収したら夫役をやらせてはいけないのに、雑物を徴収したうえに夫役をやらせる役人がいる。そのために農村が疲弊している!」
じつは、これとほとんど同じ内容の法令を、1667年に羽地朝秀が出しているようです。80年以上にわたる懸案事項だったということでしょうか。
後半部分、「御料理座はじめ諸座諸蔵の御用物(官有品)の調査」の内容は、横流しの摘発と思われます。
「諸座諸蔵」というのは、祖税を徴収する際に「心付け」(手間賃みたいなもの)を受け取る役得を持った役人が勤務している役所で、不正に多くの「手間賃」を徴収して横流ししていた役人がいたのではないでしょうか。
こちらの解決を農村よりも優先したのは、構造的な問題は上層部から改善しなければならないという考え方だったのかも知れません。
……以上、今回の参考文献はすべて『沖縄大百科事典』です。いや~、やっぱり便利だわ(笑)
農民は農業の勤めが第一である。
しかし以前から、農民にさまざまな雑物(ぞうもの)*を納めさせたうえ、夫遣い(労役)らしきことをさせることがあり、農民は農業をする暇がなく、田畑の仕事が思うようにいかなくなっている。
そのため、雑物ならびに夫遣いの調査を厳しく申し渡したかったのだが、御料理座をはじめ諸座諸蔵の御用物(官有品)の調査が済んでいないため、雑物・夫遣いの調査は先延ばしになっている。
* 雑物 : 穀物以外の、野菜・卵・薪木などの食料・雑貨のこと(『沖縄大百科事典』)
【メモ】
このあたりから、未解決の懸案事項が挙げられていきます。『独物語』を通して、蔡温が後輩たちにバトンを託そうとしたことがわかります。
もっとも、それらをいちいち文書で伝えようとすること自体、じつは後輩たちの能力をあまり信用していないからとも受け取れるわけですが……。
ここでは一応、後輩たちを心配するあまり、ということにしておきましょう。
さて、この項目では、農村における役人の不正を問題視しています。
地頭あるいは地方役人が、農民から租税を過剰に徴収しているため、農村が疲弊しているということです。これを徹底的に調査したかったのに、と蔡温は悔やんでいます。
「雑物」も「夫遣い」も租税の一種です。雑物は上記の注釈のとおり、夫遣いは労働を提供する「夫役(ぶやく)」の一種ということになるようです。
当時の税制では、夫役をさせない場合、その分を物納で代替することになっていました。
金銭で代替する場合は「夫役銭」といいますが、農村では貨幣が流通していなかったため、実際には「雑物」を納めさせることが多かったようです。
それを踏まえて、上記の蔡温の文章をもう一度見てみましょう。次のような解釈ができるはずです。
「雑物を徴収したら夫役をやらせてはいけないのに、雑物を徴収したうえに夫役をやらせる役人がいる。そのために農村が疲弊している!」
じつは、これとほとんど同じ内容の法令を、1667年に羽地朝秀が出しているようです。80年以上にわたる懸案事項だったということでしょうか。
後半部分、「御料理座はじめ諸座諸蔵の御用物(官有品)の調査」の内容は、横流しの摘発と思われます。
「諸座諸蔵」というのは、祖税を徴収する際に「心付け」(手間賃みたいなもの)を受け取る役得を持った役人が勤務している役所で、不正に多くの「手間賃」を徴収して横流ししていた役人がいたのではないでしょうか。
こちらの解決を農村よりも優先したのは、構造的な問題は上層部から改善しなければならないという考え方だったのかも知れません。
……以上、今回の参考文献はすべて『沖縄大百科事典』です。いや~、やっぱり便利だわ(笑)
2008年06月01日
『独物語』現代語訳・18
一、
傾域(遊郭)というものは、その行状が人倫の妨げとなるので、御政道のためには至極不都合なもののように見える。しかし、那覇は諸方からの船が集まる場所なので、傾域を設置しなければ、どのような障りが生じないともかぎらない。
このように考えると、前代から那覇に傾域を設置していたことは、結局のところ取り締まり向きに役立っているのである。
このこともよくよく思慮しなければならないところである。
【メモ】
那覇には、辻・仲島・渡地の3ヶ所に王府公認の遊郭がありました。
古地図(明治初年の那覇市街図)を見るとわかりますが、この3ヶ所はすべて海辺にあります。
王府に公認されてから遊郭ができたのか、元々この場所にあった遊郭を王府が公認したのかはわかりませんが、とりあえずここでの蔡温は、船乗りたちの旅のストレスを水際で解消させ、内陸に住む人々を守るという発想に立っています。古今東西、人間は似たようなことを考えるものです。
3つの遊郭のうち、地名が現在まで残っているのは辻だけです。
仲島は現在の那覇バスターミナル付近にあり、当時はそこまで海岸線が迫っていました。「仲島の大石」までが海岸線だったようです。
渡地は現在の通堂町にあり、長崎の出島のように、橋で渡る小島だったようです(だから「渡地」なのでしょう)。朝貢品の硫黄を貯蔵する硫黄グスクがあり、最近の発掘調査では塩田跡も確認されています。
明治初年の那覇市街図を見ていて、ちょっと気づいたことがありました。
3つの遊郭のうち、仲島・渡地は那覇港に面していますが、辻は外海に面しており、しかも丘陵(現在の三文殊公園か)や小さな崖によって、海との接触を遮られているように見えます。むしろ奥まった場所にある印象です。
辻遊郭は3つの遊郭の中で最も格式が高かったといわれますが、立地条件から見ても、客層が他の二者とは違っただろうな、と思った次第です。
傾域(遊郭)というものは、その行状が人倫の妨げとなるので、御政道のためには至極不都合なもののように見える。しかし、那覇は諸方からの船が集まる場所なので、傾域を設置しなければ、どのような障りが生じないともかぎらない。
このように考えると、前代から那覇に傾域を設置していたことは、結局のところ取り締まり向きに役立っているのである。
このこともよくよく思慮しなければならないところである。
【メモ】
那覇には、辻・仲島・渡地の3ヶ所に王府公認の遊郭がありました。
古地図(明治初年の那覇市街図)を見るとわかりますが、この3ヶ所はすべて海辺にあります。
王府に公認されてから遊郭ができたのか、元々この場所にあった遊郭を王府が公認したのかはわかりませんが、とりあえずここでの蔡温は、船乗りたちの旅のストレスを水際で解消させ、内陸に住む人々を守るという発想に立っています。古今東西、人間は似たようなことを考えるものです。
3つの遊郭のうち、地名が現在まで残っているのは辻だけです。
仲島は現在の那覇バスターミナル付近にあり、当時はそこまで海岸線が迫っていました。「仲島の大石」までが海岸線だったようです。
渡地は現在の通堂町にあり、長崎の出島のように、橋で渡る小島だったようです(だから「渡地」なのでしょう)。朝貢品の硫黄を貯蔵する硫黄グスクがあり、最近の発掘調査では塩田跡も確認されています。
明治初年の那覇市街図を見ていて、ちょっと気づいたことがありました。
3つの遊郭のうち、仲島・渡地は那覇港に面していますが、辻は外海に面しており、しかも丘陵(現在の三文殊公園か)や小さな崖によって、海との接触を遮られているように見えます。むしろ奥まった場所にある印象です。
辻遊郭は3つの遊郭の中で最も格式が高かったといわれますが、立地条件から見ても、客層が他の二者とは違っただろうな、と思った次第です。





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